エンドラインの歴史の裏側2009年

こんにちは、デザイナーのヒラヤマです。

 

エンドラインの最古株の私が

エンドラインの歴史を私の知りうる範囲で

書いて行こうと思います。

 

今回は2009年〜2012年頃の

エンドラインの迷走期について書いていきたいと思います。

 

2009年になると前回書いた心霊現象?のあった事務所から移転し

大橋の塩原に事務所を移します。

 

事務所は広くなり事務所が荷物でいっぱいになることもなくなり、数ヶ月後には江下が入社しエンドラインは益々、屋外広告業を邁進していく…はずでした。

 

しかし、このころから少しずつ迷走し始めます。

 

2009年9月にセミナー事業Fukuoka成長塾がスタートします。

Fukuoka成長塾の様子

ことのキッカケは代表・山本が知人のセミナーを聞いて感動し「より多くの人に聞いて頂きたい」と思ったことでした。

それが好評だったためイチ事業としてFukuoka成長塾が立ち上がります。

 

社内的も良い話が聞け、勉強になる良い機会だったと思います。

回を重ねるごとに規模も大きくなり、元ライブドアCEO 堀江貴文氏など著名な方々にも来て頂けるようになりました。

 

堀江貴文氏の会の際には代表山本をはじめ全員が浮き足立っていたことを覚えています。

 

そうこうしていると山本にも様々な講演やセミナーのご依頼を頂けるようになりました。

「セミナー事業って良いな」という漠然とした思いがあったのかなんなのか、ここからセミナーが増えていきます。

 

・二月に1度の『セミナー事業Fukuoka成長塾』

Fukuoka成長塾ロゴ

※「福岡に学びの場を」というコンセプトの元、様々な社長を招いてセミナーを開催。

 

・毎週水曜日の『福岡WEB実践塾』

福岡WEB実践塾

※日常的なweb運用について実践ベースで学んでいこう!というコンセプトで開催。

 

・社員がメインで週1回行う『ウルトラ元気勉強会』

ウルトラ元気勉強会

※広告の有用な活用法をベースとした勉強会。

 

・不定期で開催する『笑コミ研』

※代表山本が元芸人時代の経験を活かし行いコミュニケーション研修。

そうなると社内はどんどん混乱していきます。

 

営業は屋外広告の営業の合間にセミナーの集客を行い

経理事務は屋外広告の経理事務の合間にセミナーの事務作業を行い

デザイナーは屋外広告のデザインの合間にセミナー資料を作る。

 

となっていき、終いにはセミナー事業の仕事の合間に屋外広告の仕事をしているといった状態でした。

しかし会社を支えているのは屋外広告事業。

アンバランスな状態のままエンドラインは突き進みます。

 

2011年4月

現・取締役 石谷が新卒の営業として入社。

実はこの何屋さんか分からなくなっているころの唯一の功績とも言えるのが、石谷がインターン生としてエンドラインに来ていたことです。

 

インターン生として来ていたときの営業の先輩が全員いなくなっていた石谷はさぞビックリしたかと思います。

(辞めていった先輩方は、更なる成長を求めて東京へ行ったり、親族の企業の営業へと転身したりと各々の道へ進んで行きました。)

 

さてこの年の11月更なるエンドラインの大きな変化が訪れます。

うどん屋さん『大正倶楽部』オープンです。

うどん屋さん大正倶楽部

 

当時のエンドラインの方針は

「看板屋さん・のぼり旗屋さんは格好悪い」から「セミナー事業って格好いい」になり「飲食店って素敵」と考えが流れていったのだと思います。

 

代表 山本が「うどん屋をやる」と言い出したときも社内の空気は「ふ〜ん。なんか面白そうだし」くらいの空気でした。

 

結果うどん屋さんがオープンしてからは

セミナーをやりつつ、うどん屋さんの発展の為に尽力し、合間を見て屋外広告の仕事をしている感じですらありました。

 

社内は大分混乱していたと思います。

はっきり言ってしまえば業績も下がり続けていました。

 

ただ不思議なことにうどん屋さん自体は楽しんでいた気もします。

 

しかし僅か数ヶ月でうどん屋さんは閉店します。

時期を同じに様々なセミナー事業も終わって行きました。

 

このうどん屋さんで一つ大きな学びがありました。

「のぼり旗には効果がある」ということ。

のぼり旗を立てた商品は売り上げが伸びるんです。

この学びを得て、エンドランはまた、屋外広告の会社へと戻って行きます。

 

次回2013年〜2019までを一気にお伝えします。

ヒラヤマシンゴ

デザイナー ヒラヤマシンゴ

高校時代には美術部に所属し油絵を描いていました。コンポジションと言う画風があり、学生は滅多に手をつけない画風だったためか、賞を何点かいただく。デザインの専門学校、映像制作会社を経てエンドラインに入社。エンドラインの歴史の大半とともにいます